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『映画 ギヴン 柊mix』は柊と玄純の“超重量級”の愛だった。「汚したい」が意味するものは【ネタバレあり】

バンドと音楽に打ち込む若者たちの青春群像劇『ギヴン』。2019年放送のアニメを皮切りに舞台、実写ドラマと様々なメディアミックス展開を見せてきました。そして2024年1月27日、TVと前作劇場版に続くアニメが各地の映画館で上映されます。タイトルは『映画 ギヴン 柊mix』

これまでは佐藤真冬と上ノ山立夏が所属する4ピースバンド「ギヴン」のメンバーを中心に、彼らが織りなす青春と恋を描いてきました。

シリーズ続編となる『映画 ギヴン 柊mix』は、真冬の幼馴染みであり、ギヴンのライバルともいえるバンド「syh」の鹿島柊と八木玄純。

『映画 ギヴン 柊mix』
『映画 ギヴン 柊mix』

そんな本作を『ギヴン』を長年見守り続けている筆者が鑑賞したところ……青春真っ盛り、人生まだまだこれからの高校生である彼らふたりが互いに抱いてきた感情の重さに、ただただ圧倒されてしまったのです。

※本稿は『映画 ギヴン 柊mix』鑑賞済みの方に向けた記事となります。未鑑賞の方、ネタバレを避けたい方はご注意ください。

※2024.02.01に公開した記事を一部編集のうえ、転載しています


深く想い合う柊と玄純。相違する感情は

音楽フェスの一般公募枠出場をかけた発掘コンテストで見事入賞を果たし、メジャーデビューも決めた柊と玄純。

この事実は、ふたりが高校生というまだ若いタイミングで、音楽に身を捧げる覚悟を決めたことにほかなりません。観客含め周囲から見れば相当な決意にも見えますが、当の本人たちはそれが当然とも言わんばかり。しかもその決意の裏にある感情にもまた、驚かされるのです。

『映画 ギヴン 柊mix』場面写真より(以下同)
『映画 ギヴン 柊mix』場面写真より(以下同)

バンドを続けることで、まだしばらくは玄純を自分の人生に縛っておけると思っている柊。 はたから見れば柊に振り回されている玄純もまた、「柊がやるというなら何でもよかった」「(柊が欲しいから)人生くらい捨てられる」と言ってのけるのです。このようにふたりは、互いを超重量級といっても過言ではないくらい深く想いあっています。ただ、その感情の自覚度合いが異なるのです。

柊:玄純へ抱く感情の矛盾

柊は玄純に対して、伝えてはいないものの「好き」という自覚は持っています。しかし「好きだから○○したい」というその先の欲求までは思い浮かんでいません。

いかなる時でも自分を肯定しついてきてくれる優しい玄純への、無垢で純粋すぎる、親愛に近い好意にとどまっており、「自分の人生に縛っておける」という感情とは矛盾しているように思えます。

この矛盾の実態は彼が歌えないと思っていた、玄純、真冬とも幼馴染みである由紀と作った歌と向き合う過程で鮮明になっていきます。その楽曲とは、彼と玄純、そしてギヴンの真冬の幼馴染みである由紀と作った歌。

柊が由紀の曲を歌う資格がないと思っている理由、それは由紀が恋人であった真冬に向ける感情にあります。柊は由紀が真冬の手を取りふたりが想いあっている姿を、客席から眺めるだけで十分な、自分とは無縁の世界だと思っていました。

柊はおそらく、由紀のように大切な人を想い手を取ったり曲を作ったりするほど強い感情を誰かに向けたことのない自分に、強いコンプレックスを抱いているのではないでしょうか。

ただ前述にある「人生を縛っておける」という発想に加え、彼の脳内に浮かぶ由紀と真冬を眺める観客席のとなりには、当たり前のように玄純がいるのです。

このことから分かるのは、彼の玄純への想いは十分すぎるほど育ち切っているということ。柊はその想いを、自分の中で咀嚼できていないだけにすぎないのです。

玄純:柊への強すぎる執着心

一方玄純は、自身の「柊のためなら人生くらい捨てられる」という気持ちを、「好き」のその先に性愛も伴うものとして強く認識しています。

そんな彼ですが、もともと無感情であることを差し引いても、その激情を柊に出すことはありませんでした。

ただ今回の劇場版で初めて、自分は幼馴染みの中でも蚊帳の外にいたと苛立ちをぶつけ、由紀に強い憧れを抱く柊に「由紀が好きだっただろう」と問いかけたのです。さらに柊からの告白に、彼の意志を尋ねたうえで、自分の「好き」は身体に触れるという先も含めてのものだと言って戸惑わせます。

両想いと分かったのだから付き合えばいいのに、なぜこうも拗れてしまうのでしょうか。それは、玄純の人生のバックグラウンドからくる“執着”にあるでしょう。

「汚い世界しかしらなかった」という彼の言葉からは、愛情を十分に受けられず育ったことが想像できます。 そんな彼は幼稚園児時代に出会った柊から、クラスで1枚しかない金色の折り紙を譲ってもらいます。

そんな柊の存在は、欲しがることを諦めていた玄純にとって「欲しがってもいい」という安心感であり、愛情そのものだったと思うのです。

『映画 ギヴン 柊mix』
『映画 ギヴン 柊mix』

以降、柊しか目に入らず、彼についていくことが生きる意味となっていった玄純。しかし肝心の柊は、コミュニケーション能力が高く、誰にでも愛情を注げる存在です。

さらにバンドマンとして開花したのには、由紀への憧れが起因しています。自分には由紀のように柊を輝かせる力はない、でも何が何でも柊を手に入れたい――。そのためには、素直で脆く眩しい柊に、見苦しい執着を持ってもらうしかありません。

今回の劇場版の中で印象的だった、玄純の「汚したい」という言葉。純粋できれいな柊を手に入れたいという気持ちはもちろん、彼に「好き」のその先を望んでほしい、執着を持ってほしいという玄純の欲が、この4文字に凝縮されていました。そしてそんな欲を持つ自分を、クソ野郎だと卑下するのです。

ふたりが奏でる“超重量級の愛”の行く末は?

執着は、見苦しく醜い、できれば隠しておきたい感情ではないでしょうか。しかし「何が何でも」という強い気持ちを持つことは“普通”のことではないか、そしてその“普通”が通い合うことは当たり前ではなく奇跡ではないかと、柊と玄純は問いかけてくるのです。

音楽で食っていく、ともに生きていく。そんな一世一代の覚悟を持つふたりの若者の“超重量級の愛”がどのように奏でられるのかは、ぜひ劇場でお確かめください。

(執筆:クリス菜緒)

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