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“可愛い”の解像度が高いのは何故?『さよなら絶望先生』『かくしごと』久米田康治が描く女性のファッションを深堀する

『かくしごと』『さよなら絶望先生』など数多くのヒット作を生み出してきた漫画家・久米田康治先生。時事ネタを皮肉たっぷりに斬り、自虐的なあとがきも特徴的な久米田先生は、一見陰のある人物のように思えますが、実はファッションセンスが高いことでも知られています。

そんな本人こそが”おしゃれ上級者”である久米田先生が紡ぐ漫画の魅力を、ファッションの視点から探っていきます。

※2024.10.29に公開した記事を一部編集のうえ、転載しています


久米田漫画といえば”全身絵”。服装から小物まで細部へのこだわり


久米田先生の漫画の特徴の一つとしてあげられるのが、キャラクターの全身絵です。4段をぶち抜き、1ページの1/3から半分を使って全身が描かれる構図は、読者なら一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

久米田先生が描く全身絵では服装、持ち物、ちょっとした小物まで細かく描かれています。これにより、キャラクターの個性が一層際立っているのです。

たとえば『さよなら絶望先生』に登場する木津千里(きつ・ちり)は、キッチリとした性格を反映した「いいとこのお嬢さん」風の服装。だぼっとした服やだらしない印象の服は着ず、体のラインがキッチリと見えるようなトップスと実は作中一?短いと思われるミニスカートやショートパンツを組み合わせた姿が多いです。

全体的にすらっとした印象の服装には、彼女のキッチリとした性格ゆえのストイックさが現れているように感じます。

『さよなら絶望先生』23巻(講談社)
『さよなら絶望先生』23巻(講談社)

一方で不思議ちゃんな風浦可符香(ふうら・かふか)は千里とは違って少し幼めな服装で描かれがちです。

パフスリーブのワンピースやオーバーサイズめのニットなど、ふわふわ感を強調したガーリーかつ清楚な雰囲気をまとった服装をしています。彼女は彼女は作中で度々天使のような女の子と評されますが、まさにその印象を体現したような雰囲気の服装で描かれることが多いのです。

『さよなら絶望先生』には他にも多くの生徒が登場しますが、他にも日塔奈美(ひとう・なみ)は声優を務める新谷良子さんテイストの服装だったり、常月まとい(つねつき・まとい)はストーカーをする人物に合わせて服装が変化するなど、そのキャラクターの個性をそのまま表現するような服装がそれぞれデザインされています。

『さよなら絶望先生』17巻(講談社)
『さよなら絶望先生』17巻(講談社)

『さよなら絶望先生』は学校が舞台なので登場人物は基本的に制服なのですが、その着こなしも話によって様々に描かれます。カーディガンの着方からマフラーの柄、ヘアアクセサリーなど制服の範囲を逸脱しない絶妙な匙加減で毎回描き分けられていて、それらの一つ一つがキャラクターに似合っていてとても可愛らしいです。

制服やジャージといった定型の服装がある登場人物でも、そういったちょっとした着こなしや変化に注目することで、久米田先生の漫画をファッション的な視点からより楽しめるかもしれません。

キャラの「可愛い」に説得力を持たせるファッションセンス


私が久米田先生の漫画を読んでいて感じるのは作中で「可愛い」とされる登場人物が本当に「可愛く見える」ということです。

久米田先生が描く造形や台詞回し、ちょっとした仕草や表情が可愛いを形作っているのはもちろんのことですが、そこに久米田先生がデザインした服装が加わることによって可愛いの解像度がぐんと上がっているように思います。

『かくしごと』に登場する後藤姫(ごとう・ひめ)ちゃんは、存在そのものが絶対的に可愛いキャラクターとして描かれています。そして、読者にもそう思わせるだけの説得力のあるキャラクターです。

『かくしごと』1巻(講談社)
『かくしごと』1巻(講談社)

姫ちゃんは毎回異なる形や色、装飾が施された品のあるワンピースをさわやかに着こなしています。他のキャラクターと比べて特別に華美だったり派手だったりするわけではない「普通」のワンピースなのですが、実はこの品のあるワンピースこそが、姫ちゃんの可愛さをさらに際立たせる要素となっているのです。

例えば姫ちゃんの服装が毎話ラフな格好であったり、同じワンピースばかり着ているとしたら、姫ちゃんの「可愛い」への印象は変化していたと思います。

しかし作中に出てくる姫ちゃんのワンピースは非常にバリエーションが豊かで、そこには唯一の家族である父・後藤可久士と今は居ない母親が遺した愛情が垣間見えます。このことが姫ちゃんに「家族から愛されている」という印象を持たせ、読者に対しても「このキャラクターは無垢で可愛くて、周りからも愛されているんだ」と姫ちゃんの可愛さに説得力を持つようになるのです。

また、現在連載中の『シブヤニアファミリー』では服装だけでなく、主人公のランドセルのデザインにまでこだわりが見られます。ただ星やハートを組み合わせたような可愛らしい模様ではなく、ちょっとお姉さんっぽいシックなデザインで、側面部分にも同じように装飾が施されています。

『シブヤニアファミリー』1巻(小学館)
『シブヤニアファミリー』1巻(小学館)

小学生の女の子に人気な紫色である点も「その年頃の女の子」が好みそうな可愛さが、時代感覚のずれを感じさせることなく描写されているのです。

このようにキャラクターの可愛さに説得力を持たせる造形をしているのに、決して派手ではない。”普遍的”な可愛い女の子の造形は、久米田先生の類まれなるファッションセンスから生まれているのではないでしょうか。

「ファッションとは機能性」垣間見える久米田先生の哲学


久米田先生の漫画には特異なファッションセンスをもつキャラクターや、ファッションに焦点を当てたファッション回(作中のキャラクターのファッションに対して鋭いツッコミを入れていく回)なども存在します。

ファッションに着目する流れになると、度々ファッションの意義というものが語られます。その中でも印象に残っているのが『かってに改蔵』における「ファッションとは、成り立ちにおいて機能美という理由を持つのだ」という言葉です。

『かってに改蔵』11巻(小学館)
『かってに改蔵』11巻(小学館)

作中では「セーラー服に襟があるのはなぜか」「チェック柄はなんのためにあるのか」とギャグテイストでファッションと機能性に関する知識が繰り広げられますが、私はそこに久米田先生のファッションに対する哲学を垣間見たような気がしました。

久米田先生は少女漫画で描かれるようなキラキラした華美な服装よりも、その辺の女の子が日常的に着ているような普遍的な服装を描くことに長けていると感じます。それでも「久米田先生の漫画に出てくるキャラクターは服装がおしゃれ」と言われるのは何故なのか。

現代において「普遍的で日常的な可愛い服装をキャラクターに毎話着せてあげる」こと、加えて「ファッションで読者に余計なノイズを与えない」こと自体そのものが漫画表現におけるファッションの価値であり、その機能を発揮できているからなのではないでしょうか。

「ファッションとは機能性」という哲学がベースにあるからこそ「シンプルでおしゃれ」を実現したような、あの久米田先生独特のスタイルが描かれているのかもしれません。

『スタジオパルプ』1巻(白泉社)
『スタジオパルプ』1巻(白泉社)

どの漫画でも鋭く世の中を切り、ちょっとほの暗い笑いをさわやかに届けてくれる久米田先生。作中でも描かれる時事ネタは時代に追いついていないと描けない題材なので、同時にファッションも追っていると考えればその長年の研究心とセンスの磨きっぷりにも納得がいくような気がします。

現在連載中の『シブヤニアファミリー』は『週刊少年サンデー』で連載中。作中のファッションにも注目しながら、これからも久米田ワールドを存分に楽しもうと思います。

(執筆:宮本デン)

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